カズオ・イシグロ

書店で「日の名残り」を見かけたのは、ずいぶん昔のことだ。

中央公論社からハードカバーで出版されたのが1990年夏。文庫化されたのが94年1月。

そのいずれも、新刊本として書店に平積みされていたのを覚えている。

後(2001年5月)にハヤカワから再版されたのは全く知らなかった。

初めて「日の名残り」を見た時、強烈な違和感を感じた。

カタカナで外人風に「ファーストネーム・ファミリーネーム」と表示された日本人名には慣れていなかったので、全く奇妙なものとして目に写ったのだった。

それからカズオイシグロの名を目にすることになったのは、たぶん「私を離さないで」だけだ。

この数年、ほとんどの書店が姿を消し、数件の大型書店が再編され、行きつけの書店そのものを失って、自分のお好みの分野、作家以外の情報が全く途絶えてしまってから久しい。

そうして、今年のノーベル文学賞の受賞の知らせ。

俄にカズオイシグロの名がクローズアップされ、巷に溢れだした。

これで、翻訳されていなかった旧作も書店に並ぶのだろうか。

以下の記事は、2015年新刊「忘れられた巨人」出版に伴って来日した際、NHKが収録したトークショー形式の番組の内容を書き起こしたものだ。ノーベル文学賞受賞後、慌ててNHKが再放送した。初めは軽く流し見したのだが、その内容の重要性に気づき、文章化して何度も反芻するべきと感じたのだった。

カズオ・イシグロ 文学白熱教室

こんにちは皆さん、集まってくれてありがとう。
まずはじめに、皆さんに聞きたいことがある。
なぜ小説を読みたいと思うのか。
そして我々はなぜ小説を書きたいと思うのか。

[何故小説を読みたいのか、なぜ書きたいのか]

私たちの社会では、何故かフィクションや小説は文明にとって重要だと認識されている。
だが、私たちが暮らしているこの現代、フィクションや小説の重要性は不確かな物になっている。
小説は本当に娯楽の一手段以上のものなのか。
社会にとって本当に重要なものなのか。
今日は、このような問いかけを皆さんと一緒に考えていきたいと思う。
でも私は専門家ではないから、その答えは出せないだろう。
私は小説家だ。膨大な時間を掛けて、事実でない話を作り上げている。
事実ではない話をたったひとつ考えるのに何年も費やすことがある。
それをどう伝えるか、どうしたらよくなるか考えながらだ。
なぜわざわざこんなことをするのか、なぜ皆さんも事実ではない話を読みたいと思うのか、
なぜエッセイとか歴史の本ではないのか、なぜ科学の本ではないのか。
歴史や科学の本には確かな事実が詰まっていて、知識も得られるのに。

今日は私がどうして小説を書く様になったのか、個人的な話をしたいと思う。
これは大学の講義ではないので、読者として、作家として皆さんと経験を分かち合いたいと思っている。
フィクションや小説を真剣に捉えている私たちだから、この問いについて一緒に考えていこう。

[どうして小説を書き始めたのか}

まず、私が小説家になった経緯を話したい。
また、その動機について話そう。
それにはまず少し私の生い立ちから分かってもらった方が良いと思うので話そう。
ご覧の通り、見た目は日本人だ。
だが振る舞いは欧米人のような振る舞いだと思うし、英語で話をしている。
私は九州の長崎に生まれ('55)、今60歳(収録時'15)だが5歳になるまで長崎で暮らしていた。
九州に住んでいた。
もちろん、当時は日本語しか話さなかったし、住んでいた家も畳とか、そういったモノのある、典型的な日本家屋だった。
5歳の時に両親と一緒に英国に引っ越した。そして英国で育ち、英国の学校に通った。
15歳になるときまでずっと日本に帰るモノだと思っていた。それが両親の予定だったからだ。
だから英国に永住はしないと思いながら育ったのだ。
いつか日本に帰るのだと。

なので、私が日本と呼ぶところのかけがえのない場所が、いつも頭の中にあった。
それは記憶に基づいている。
私が幼い頃の記憶だ。
それには英国で日本について読んだことや、両親に聞かされたことが混ざっている。
こうして、私が日本と呼ぶ世界に思いを巡らして私は育った。
日本の現実からかけ離れていたと思う。
飛行機に乗っても行くことが出来ない。
気づいたのはそれだけではない。
年を重ねるにつれ、この世界が薄らいでいくことに気が付いた。
記憶と共に、日本という世界が薄らいでいったのだ。
私が小説家になろうと思った動機は、
当時小説にはあまり興味がなく、音楽に興味を持っていた。ロックだった。
だが突然23〜4歳の頃、フィクションを書きだした。
私が頭で描いた日本を舞台にフィクションを書いた。
現実の日本をリサーチする気はさらさらなかった。
私はただこの秘密裏に残していた個人的でかけがえのない日本を紙に書き記したかったのだ。
それが小説家になろうと思った本当の動機だった。
小説に書くことが私の世界を安全に保存する方法だったからだ。
もちろん小説を書くわけだから、いろいろなテーマや社会問題を盛り込んで問題提起することもした。
だが、根底にあった動機は薄らいでいく記憶を保存したいという思いだったのだ。

「遠い山なみの光」'82
デビュー作。

では最初の問いに戻ろう。
なぜ小説なのか、小説というものは、フィクションの世界とは、自分の為に存在する世界を保存出来るひとつの場所だと思う。
そこに感情や情景を詰め込むことが出来る。
小説ならば自分の情緒的な日本というものを留めることが出来る。
それが私の出発点となったのだ。フィクションを書くことで。
こうして世界を作り出すことが出来る。
自分の心や頭の中にある内なる世界を、人が訪れることが出来る様な具体的な世界を外に作る方法だ。
そうすれば、私は安心できる。もう心配しなくても良い。
私の日本はそこに安全に保存されることになるからだ。
小説というものの中に。

Q「非常に個人的な世界を他人にも読める様なモノに書くというのは心配ではありませんでしたか?
それとも人と分かち合いたいと思ったのでしょうか」

とても良い質問だね。
私の最初の2つの小説は私の日本が舞台だった。
でもそれは自伝的な小説ではなかった。直接的にはね。
実際その舞台は、私が生まれる前の日本だった。
第二次世界大戦直後の復興の時代が舞台だ。
もし実際の体験や個人的な出来事があるとすれば、それはわたしよりむしろ両親が体験したことに近いと思う。
最初からわたしは自伝的小説を書くことに興味は持っていなかったので、余計な心配はいらなかった。
むしろ自分が覚えている世界を作ることに重点を置いていた。
みんながどんな会話をして、どんな行動をとっていたのか、その時の雰囲気などだ。
視覚的に感覚として覚えている子供の頃の記憶を描きたかった。
空の色や路面電車の音、路面電車がレールの上を走るときに立てるコトコトとなる音だとか、まるでおもちゃの様な。
色や感触や食べ物を覚えているのだ。
私が実際に体験したことよりも感覚的なことを保存したかったのだ。

質問かな?どうぞ?
Q「20代の自分に会えるとしたら、何を言いたいか?」

もしあったら、いろんなことをいいたいねえ。
でもどうだろう。不思議なことに今の自分は20代の自分を賞賛するだろう。
今だから分かることだが。
今の書き方と当時は違う書き方をしている。
今の自分は作風を物凄く意識する様になったし、今の自分の方が技術的に優れていると思うが、
若い作家としての若い自分をどこかうらやましいとも思う。
当時の自分には沸き上がる様に想像を膨らませるパワーがあった。
年々失ってしまった子供時代との繋がりや記憶をまだ持っていたからだ。
初期の作品にはどこか特別な何かがある。
20代の作家にしかない独特の力だ。

年を重ねるにつれ、若い作家をうらやましく感じるよ。
若い時を作家として過ごすその時間をね。

私の日本を舞台にした小説を2冊書き上げた後、私の日本として強調したけど、私の中で作られた日本だから・・・
小説を書いたあと、フィクションを書く初期の目的は満たされた。
私の日本は安全なところに留めることができた。
だが、同時に気づいたことがあった。
私の本はほとんど西欧社会で読まれ、とくに欧州や米国で読まれていた。
読者は私の小説は特別な日本の話だと考える傾向にあった。
私は普遍的な人間の体験だと思って表現したんだが、人はこういうわけだ・・・
「あぁ、日本ではそういうことなんだ・・・」

[作品の舞台設定を変えること]

私が社会について何を書いても、日本社会のことだと関連付けられてしまっていた。
日本人の考え方、日本人のマインドと受け止められたのだ。

かなり前になるが、当時1980年代はまだ日本という国や日本の文化は、今の様に世界に知られていなかった。
だから人々は日本を異国情緒溢れる不思議な文化の国だと考えていた。

これを私は問題だと感じ始めたのだ。

ちょっとうぬぼれた言い方をすると、
「他の小説家とはちがう。」
「これは自分の独特なスタイルだ。」
と思っていたことを、人々は全て日本のことと受け止めた。
私は人間性や人間の経験に関する普遍的な真実について綴る作家として認識されたいという欲求に駆られた。
ジャーナリストや旅行作家や外国特派員として日本のことだけを書いているんじゃあないのだと。
そして、こういうことになるのは、読者の読み方にも限界があるからだと思った。

そこでハッキリと決断した。
舞台が日本ではない小説を書こうと。
読者はどう思うだろうか、受け入れてもらえるのか、それとも反発するだろうか。
読者は私が日本について良く知っていると思ったからこそ、私に特別な役割を授けたのだろうか。
もし私がその役割を放棄したら、興味を持たなくなるかもしれない。そういう畏れもあった。
だが私の決心は固かった。
普遍的なことを描く作家として認識されたかったのだ。
そして書いた三冊目が、「日の名残り」だ。
それは、いかにも英国らしい舞台で展開する。
だが、物語は2冊目、「浮き世の画家」とほぼ同じだ。
その舞台は第二次世界大戦後の日本だった。
物語の流れはほぼ同じで設定を英国に移しただけなのだ。
それがかなりうまくいって、私の代表作となった。
賞も受賞し、私が世界的に知られるきっかけにもなった。
アンソニー・ホプキンスやエマ・トンプソンが出演して映画にもなった。

映画「日の名残り」

私はある意味うまく行ったと思った。
私の物語はもっと広い範囲に当てはまるとみんなに気づいてもらえた。

また私はあることを発見した。
物語の舞台は動かせるのだと。

[物語の舞台は動かせる]

舞台設定は物語の中で重要な部分ではない。
これに気づいた後、舞台設定を探すのが難題になった。
あまりに自由になってしまったからだ。
このところこれにかなり悩まされている。
舞台設定をためらい、場所を決めるのに長い時間を費やしてしまう。
物語をいろいろな舞台へ、世界中の様々な場所、様々な時代へ移せると分かってしまったからだ。
ジャンルだって換えられるだろう。
SFにも、中世の怪奇小説にも、推理小説にだって仕立てられる。

そこで私が心掛けているのは、そのアイディアを簡潔に2つ3つのセンテンスの文章にまとめること。

[アイディアを書き留め確かめる]

もしまとめられないなら、そのアイディアは今ひとつということの証拠だ。
あるいはまだ熟していない。
それでも、わたしは思いついたアイディアを2つか3つ、長くても4つの文章でまとめようとする。
ノートに書き留めたアイディアを見返して、その短い文章だけで、アイディアの発展性や沸き上がってくる感情があるかどうか確かめる。
短い文章に私を悩ましたり刺激したりする様な世界が広がっているのかどうか確かめる。
あらすじ以上のものがないとダメなのだ。
これなら物語を作り上げられる、と思える様なモノじゃないと。
往々にして、アイディアというモノは時代や場所が決まっているわけじゃない。
抽象的で、なんとかの話である、ぐらいから始まる。

私の三冊目の本はこんな風にまとめられる。
「完璧な執事になりたがっている男の話で、私生活やその他のことを犠牲にしてまで完全無欠な執事になりたいと願っている」
これがアイディアだ。

舞台は日本に設定することも可能だし、4世紀前の設定でも良い。
現代でも良いし、未来の話にして、SFかファンタジー小説にしても良い。

こうして、アイディアをどんな舞台にも動かせると知ったおかげで、困ったことになった。
まるで、高級なレストランに行って、メニューを見て、何を選んで良いのか分からない状況と同じなのだ。
だから、私はいつも選択を迷っている状態にある。
舞台の選択肢がありすぎて・・・だ。

少なくとも、これがここ20年間大きな負担となっている。
良いと思えるアイディアが浮かんで、書く意欲は湧いているのに、舞台をどこに設定すれば良いのか決められない。

では、最初の問いに立ち返ろう。
なぜ小説なのか。

[なぜ小説なのか]

ルポルタージュやエッセイと比べて何が小説を特別にしているのだろう。
まさに今話したことの中にヒントがあるのではないか。
小説の価値というのは表面にあるとは限らない。
歴史書を、時代を変えて良いとしたら、おかしなことになる。
歴史家がそんなことをしたら許されないだろう。
でも小説では可能だ。
つまりこれは、物語の意図するものは、表面の細かい部分にはそう結びついていないというコトを意味する。
小説の価値はもっと深いところにある。
創造したアイディアの奥深いところにあるのだ。
だからアイディアをいろいろな舞台に設定して考えてみる。
どこに設定するのが一番うまくいくのかと。
ここか別の場所か、どの設定ならアイディアに命が吹き込まれて生き生きとするのか・・・

どうぞ?

Q「小説の完成するまでの時間のうち、どのくらい舞台設定に費やしているのか?書き始める前か、書きながら?」

まさにそこが問題なのだ。
私はロケハン(舞台設定)に時間を費やしすぎる。
私は書き始める前にロケハンして、舞台設定を決めようとする。
それが良いからね。経済的で理に適っている。
ボクだけの問題かもしれないが。

実は「私を離さないで」は2回書き損じているのだ。
ロケハンが終わって、舞台設定はもう決まったと書き始めたが、どうもうまくいかない。
筆が進まなかった。舞台設定が悪いんじゃないか、と思った。
「私を離さないで」では、舞台設定は3回目でやっと決まったんだ。
SF小説にしようとね。
何らかの理由で、若者たちが、ある意味老人のように、命に限りがあるという設定の物語が書きたかったからだ。

映画「私を離さないで」

小説で使った手法は、奇妙な馴染みのない設定の中に、物語を置いて際立たせる、というものだ。
そして、読んでいくうちにこう考え出す。
この状況は自分たちが置かれている状況とよく似ている。
主人公が語っているのは自分たち人間のことだ。
富める者も貧しき者も才能があろうが無かろうが、誰しも寿命がある。
小説「私を離さないで」では、歴史上の問題とは違うが、臓器提供や化学研究の倫理的な問題が含まれている。
さらに、遺伝子実験の問題も。

[作家が負う責任]

書き始めたときに中心に据えていなかった一連の問題が、避けようもなく噴き出してくる。
小説を書くときは、問題の層がいくつもあるということを認識する必要があり、私もそれを自覚している。
ある程度、それらの問題に対しても、責任を持たなければならないと思う。
作品の目的のために、何かを取り上げるときは、付随する問題に対して、真摯に当たる必要があると思う。
それを小説の仕掛けとして使うのだから。
常に責任を意識してもいるが、心の奥底にはどこか罪悪感も残っている。

では、もう一度最初の問いにもどる。
フィクションとは何なのか?

[フィクションとは何なのか?]

フィクションとは異なる世界を作り出すことだ。
これが、小説に価値がある理由のひとつだと思う。
私たちは異なる世界に入り込むことで、思い起こす。
実生活の中で生まれている多くのことは、想像から生まれたものなのだと。
多くの文明の利器は、先ず想像されて、そして実際に作り出された。

私たちは、心のどこかに、異なる世界に行ってみたいという願望があり、
その世界は、自分が知っている現実とは異なっていても良いのだと気づいている。
こんな効果的なことが出来るのは、フィクションだけだ。
小説と同じように映画でも出来る。演劇もそうだ。
つまり、一般的な意味のフィクションだ。

私たちはどこかで、異なる世界を必要とし、そこへ行きたいという強い欲求がある。
このような世界はノンフィクションやルポルタージュでは生み出すことは出来ない。

それでは次に、物語を記憶を通じて語る。というテーマに入りたいと思う。

[記憶を通じて語る]

これは物語を語る上で、フィクションで使われるひとつの手法で、TVドラマや映画とは全く違うものだ。
紙の上でしか描くことしか出来ない。
読者も小説を読まないと、これを体験出来ない。
だから、私は小説を読むべきだといえるのだ。
この体験は小説という形だからこそ得られるもので、他の形では得られないからだ。

こうして私は、この手法を用いはじめた。
筋書きに固執して、時系列に話を展開することよりも、語り手の内なる考えや関係性を追って、書き出した。
ジャーナリストなら、信頼できないことは最悪だ。
だが、フィクションでは、信頼できないことで面白いことがおきる。
例えば、人間が何か思い出すとき、その記憶は歪められている。
不愉快なことはすり替えている。自分を少し誇張したりもする。
フィクションで記憶を取り入れることによって、何故人は信頼できないんだろう、という疑問がわき上がる。

[信頼できないということ]

どういうときに信頼できないのだろうか。何かを隠そうとする理由は何なのか。
逃げ出そうとする理由は何なのか。何故物事を変えたいと思うのか。
私は、信頼できないことは、小説家にとって、非常に力強いツールだと思った。

私が言う「信頼できない」とは、私たちの現実の世界で起きていることだ。
人は、真剣な話、重要な話をするとき、実は・・・信頼できないのだ。

十代になれば、あるいは大人になればなおさら、我々はある種の達人になっている。
私たちに語りかけている人は、信頼できる語り手じゃないとわかっている。
例えば、学生時代の友人にばったり出会って、君はこういう。
「やあ、げんきにやっているか?離婚したって聞いたよ?」
「あぁ、でも離婚して良かった。これ以上最良な方法はなかったよ。前より自由になったし、人生も上向きになってきた。」
と友人が答えたとしよう。
よほどの馬鹿者じゃない限り、あぁ良かった大丈夫なんだな。と思う人はいないだろう。
それは方便だとわかっているからだ。
人は本心を明かさず、少し飾って話すことが多い。
そんなことから、わたしたちは社会で生きているだけで、物事を読み取る達人にもなっているのだ。
だからフィクションを書いているとき、信頼できない語り手や、信頼できない物語の進行役を用いると、
読者は読み取るスキルを使うことになる。
現実の世界で、自分を取り巻く世界や人に対して使う様に。

私が非常に興味を持っているのは、人が自分自身に嘘をつく才能だ。
他人に嘘をつくつもりがなくても本当ではないことを言ってしまう。
そのような信頼できない状態は、フィクションを書くに当たって非常に有効で、フィクションにぴたりと嵌まる手法だと思う。

はいどうぞ?

Q「物語を伝える形式は物語のテーマによって変えるのか?」

勿論、ある程度はそうだね。
一人の登場人物の記憶を通じて語るという手法に、私は引きつけられている。
取り憑かれていると言っても言い。
それは私のテーマにぴたりとよく当てはまるからだ。
特に興味を持っているのは、人はどのように自分と向き合うのか。
どのように自分の人生を評価するのか。
どのように不愉快なことを避けるのかと言うこと。
最近さらに興味を持ったのは、社会全体がどのように自分たちをあざむくのか、
あるいは意図的に忘れようとしているのか、それとも記憶に留めたままにするのか。
急に忘れたことを思い出したりもする。
それは社会の政治的な目的に適うからなのだ。

Q「記憶の本質的な曖昧さに向き合うことと、過去の歴史的な社会的な罪に対して責任を負うことについてどう考えるか?」

それに対する簡潔な答えはないだろう。
答えは見つからないかもしれない。
過去にしでかした過ちに、いつ向き合うのが良いというのは難しい。

個々のケースは理解可能だ。
もしそれが凶悪なことだったり明らかに犯罪だったりしたら話はちがってくる。
だが、ほとんどの人は、長い人生を歩み、ある年齢に行き着くと、
後悔がなにひとつない、ということはあり得ない。

ある程度年を重ねれば、してきたことの全てに満足している人は、ほんの一握りだろう。
人は、いつも罪の意識を持っていたり、もっとこうすれば良かったと思っているはずだ。
だから、私は同情も共感もする。
それを振り返りたくない。振り返らなくても別に良いだろ?という自分たちに。
自分に出来ることはもうない。このままにしておこう、と。

これは人間くさいことだ。社会においてもいつ思い出すべきで、いつ忘れるべきなのかと知るのは非常に難しい。
もし、過去に恐ろしい事件が起きて、それが正義という観点からすれば、
忘れてはいけない過去の出来事として、葬り去るのは間違っているとしよう。
だが、このことを深く考えはじめると、この問いそのものが難しいとわかる。

フランスを例に取ろう。
第二次世界大戦中、その時代に戻ってみよう。
フランスは大戦中、ほとんどの期間ナチスドイツに占領されていた。
往々にして、フランス人の多くが、ナチスドイツの協力者となり、ナチスを助けていた。

[いつ忘れるのか、いつ思い出すのか]

フランスのどの村でも、誰かがレジスタンスをナチスドイツに売っていた。
ナチスドイツの圧力はたいしたことなかったはずなのに、フランス系ユダヤ人を強制収容所へ送り込んだ。
そして、戦争が終わった。
フランスはこれらの記憶、つい最近起きた出来事の記憶をどうするべきか、決断する必要があった。
しかも、この記憶は社会の奥深くに刻み込まれていた。
どの町でもどの村でも、どこの誰が、ナチスドイツに協力していたのか知っていた。
誰がレジスタンスに身を投じて、敵に売られたのか知っていた。

ドゴール大統領は意図的な決断をした。
社会の連帯を守るために、社会を崩壊させないために。
この国が再び強くなるまでのしばらくの間、国民全員が勇敢なレジスタンスだったという物語を信じよう。
全員が戦ったのだ。全員がナチスドイツに立ち向かったのだ。
その後に、連合軍によって開放されて、最後まで勇敢に戦ったと信じよう。
今でもフランス人の多くはそう信じている。

私は理解できる。
そんな嘘をつき続けるのは恥辱だとする一方で、
そんな嘘がなければ国家が崩壊するという最悪な事態になりかねない危機的な状況だったと。

非常に複雑な問題だ。
これに対して、一般論で答えようとは思わない。
それが社会に対することでも、個人に対することでも。
これは社会と個人が直面する永遠の課題だと思う。
いつ忘れて、いつまで忘れるのか。
いつ勇気を持って暗い記憶を明るい場所へ引きずり出すのか。

それではつぎにメタファー(比喩)について話したい。
比喩のことは皆さんも知っていると思う。
狭い意味での比喩について話したいのではない。
いわゆる直喩は皆さんも会話や文章の中で使うから知っているね。
私は作家として、小説全体を支配する様な、大きなメタファー(隠喩)に惹かれる。

[大きなメタファー(隠喩)]

私はよく小さなアイディアをノートに書き込み、そしてどれが力強いか見比べる。
それが、アイディアが力強いかどうか決める私なりの方法なのだ。
自問することだ。
これは本当に何か重要なことの力強い比喩になり得るのかどうか、
この物語はとてつもなく大きな比喩になるのだろうかと。

私の最新作「忘れられた巨人」
まだ読んでいない人もいるだろうから、全体の筋立てを明かしたくないが、少しだけ話そう。

舞台は大昔の英国に設定してある。
奇妙なことに、人々は年齢と関係なく出来事を忘れていく。
子供も若者も、昨日の出来事や、一時間前の出来事すら思い出せないのだ。
ただただ思い出せない。
記憶が消えてしまっている。
これが社会問題となっていた。
徐々にその理由が分かってくる。
それはドラゴン、龍のせいなのだ。
龍は近くの山の上に棲んでいて、その龍の吐く息が記憶を失わせるのだと。
これが人々の間で対立を生む。
かけがえのない記憶を取り戻すために龍を殺そうとする人々が一方にいる。
他方で龍を守ろうとする人々もいる。
なぜなら、龍を生かしておけば、嫌な記憶、暗い記憶を忘れたままでいられるからだ。
実際、この社会が内戦状態に陥らないのは、龍の吐く息のおかげかもしれない。
一世代前に起きた恐ろしい出来事の記憶は、普通の記憶や、良い記憶と共に忘れられている。
だが、かけがえのない記憶を取り戻したがっている人がいる。
老夫婦がこういうのだ。
「私たちは深く愛し合っているが、もしこの大切な記憶を失ったら、愛情までも失われてしまうのではないか。
失いたくないから、記憶を取り戻したい」と。

こういう物語だ。
私はこの問題に非常に興味を持っている。
日本や米国や英国にも当てはまる。
紛争があったルワンダや南アフリカにも。
南アフリカにはアパルトヘイトの記憶がある。
分裂した旧ユーゴスラビアにも当てはまる。
多くの社会に葬り去られた記憶があるのだ。

これは非常に難しい問題だ。
いつ思い出して、いつ忘れた方が良いのかと。

この問題は個人の人間関係にも当てはまる。
例えば、うまくいっている結婚生活でも、忘れた方が良いという記憶がある。
だが時々、長い間記憶を隠しておくと、あるとき問題となって現れる。
だから、実際思い出した方が良いときもあるのだ。
このような物語、このようなアイディアは、それ自体がなにかの大きなメタファーとなる。

「日の名残り」は私にとっても面白いケースだった。一石二鳥だったからね。
英国の執事のイメージは、世界的に確立されていると思う。

[2つのメタファー「日の名残り」]

英国の執事に会ったことがない人でも、厳格で礼儀正しいという典型的なイメージを持っている。
私はこれを2つのメタファー(隠喩)に使えると思った。
完璧な2つのメタファーになった。

ひとつはある程度誰もが持つ感情をあらわすことの畏れだ。
愛や友情、人との関係の中で、感情を顕わにして傷付くことを恐れている。
職業人に徹して、感情を封じ込めた方が傷つかず安全なときがある。
その意味で、執事は、感情の抑圧や畏れの比喩にぴったりだ。

同時に別の意味でも執事は完璧な隠喩になると思った。
政治権力に対する、私たちの関係の隠喩に、だ。
私たちの多くは大統領でもなければ、有力な政治家でもない。
大企業のCEOでもない。私を含めた多くの人々は、ただ自分の仕事をするだけだ。
ただ仕事をして、雇い主に、雇用先の企業に、国家に、大義に、貢献するだけだ。
そして、その貢献が役立つことを願う。
自分の仕事を全うして、自分のプライドや尊厳を守っている。
でも、それが上のレベルで活用されているのかどうかは分からない。
私たちは、ただ、上の人達が役立ててくれることを願っている。
だが、小さな世界に住む私たちは、自分たちの貢献が役立っているのか、が見えない。
そのような意味で、道徳的にも政治的にも私たちも執事である。と伝えているのだ。
これも大きな隠喩の例だね。

物語全体が、メタファー(隠喩)としてうまく働いたと、私は手応えを感じている。
私が好むメタファーは、読者がそれが比喩だと気づかないレベルのモノだ。
物語に夢中になって、物語の行き先ばかりに気を取られて、その背景を冷静に分析したりしないですむような。
そして、本を閉じたときに、あるいは思い返したときに気づくかもしれない。
人生に直接関係する隠喩だったから、この物語に夢中になったのだと。
そのようなメタファー(隠喩)が力強く威力を発揮する。

どうぞ?

Q「フィクションは基本的には嘘。同時に普遍的に事実を書くだけの作家にはなりたくないとおっしゃった。
小説家の仕事は事実を伝えることなのだろうか?それとも嘘を伝えることなのか?」

実は意識して嘘という言葉は使わなかった。
嘘とは、意図的に相手を惑わせるモノだ。
それに私は、意図的に読者を惑わす内容のフィクションは好きじゃない。
それが、プロパガンダだったり、ただの感傷的な内容だったりしたとしても。
人生を実際より楽だと思わせる様な内容は好きじゃ無い。
だから、嘘は嫌いだ。
確かに私は、事実じゃない話を作り上げるといった。
事実じゃない話は・・・もちろんどんなことかわかるね?
つくられたものだ。
そこで、最初の問いの核心に触れることになるが、
私たちが、小説に価値があると思うのはそれに何らかの重要な真実が含まれているからだ。

[小説には重要な真実が含まれている]

少なくとも、私たちが価値あると思う小説はそうだ。
完成度が非常に高い小説や詩には、そのような形でしか表せない、何らかの真実が含まれている。
そこで、この問いがある。
真実とは何か。
それは一体どんな真実なのか。

それは月並みな事実ではない。
いついつにドイツがフランスに侵攻したといったような事実のことではない。

では、真実とは何だろう。

これが小説に価値がある理由だ。

長い歴史を通じて、人間は洞窟の中でも焚き火を囲んで様々な物語を語ってきた。
悲惨な戦争の最中でも、人々は互いに物語を伝え合ってきた。
それは、ある種の真実を伝える手段だったからだ。
真剣に読者たり得たり、小説家たり得たいならば、常に自らに問いかけなければならない。
この物語に重要な真実は含まれているのか。
その真実とは。
私は哲学者ではないから、正確な答えは持っていない。
ただ、真実とは、人間として感じるモノだと思う。
例え、その小説が、現実とは違う事象を語っていたとしてもね。
語られる体験や、伝わってくる感情を、私たちは真実だと認識する。
そして、小説では、ときにとても重大な心情や気持ちを伝えられる。
だが、事実にだけ基づいた本やノンフィクションでは、伝えきれないものだ。
ここで、最も重要な点は、小説は、特定の状況で感じる気持ちを伝えられるということだ。

歴史書やジャーナリズムでは状況を伝えることは出来る。
例えば、ある時代のある場所で、人々は飢えに苦しんでいたとしよう。
だが、その苦しみ、飢饉のせいで愛するものや子供を失った苦しみは伝えられない。
ある時代のある町のある場所で、人々は飢えに苦しみ死んだ。という事実だけでは、人間は不十分だと感じるのだ。
私たちは、どう感じたのかを伝えて欲しいのだ。
どうしてかは分からないが、それが人間の本能なのだと思う。
それが真実というモノだ。

本当に感じられるのか、その状況にいるかの様に感じられるのか。
さもなければ真実ではないのか。これを常に自問する必要がある。
事実だけを述べたノンフィクションでは物足りないと思うから、小説という形がとられるのだ。

さて、刺激的な対話が持てたからまとめは必要ない様だね。
皆さんが素晴らしい聴き手だったことに感謝したい。
皆さんから鋭い洞察力と思慮深い質問や意見をもらってこれほど助けられるとは思いもよらなかった。
心から感謝している。

最後にすこしだけ言わせてもらいたい。

[なぜ小説なのか]

なぜ小説なのか。
なぜ小説を読むのか。
なぜ他のじゃなくて小説を書くのか。
という問いかけに戻る。

明確な答えはないが、なぜ小説に価値があるのかという理由を幅広く論じたね。
仕事が忙しかった一日の終わりに読む、娯楽以上の価値がある。
個人的なことになるが、長年執筆活動をして気づいたことがある。
自分が小説を書く上で重要なことは、心情を伝えることなのだと。
知的な意見を伝えたいわけでも、何かについて議論したいわけでもない。
偶然にそうなってしまったら、それはそれでいい。
基本的に私は、とてつもなく大きく、とてつもなく重要なコトに対する思いを伝えたいと思っている。
尊敬する作家の作品に対しても、この点を大切にしている。
映画や音楽やどんな形の芸術に対してもだ。
自分たちの体験に対して、人間としての感情を分かち合うことは、非常に重要なことなのだと思う。
人間は、社会で経済活動するだけでは不十分なのだ。
心情を分かち合う必要がある。
私が小説を書くときは、こう言おうとしているのだ。
私はこのように感じた。それを書いて君に見せている。
君も同じように感じるのか。
私がここで表現しようとしていることを、少しは理解してくれるのか。
思いが伝わるのか。私はこう感じたんだ、と。

私も他の作家の小説を読むとき、このようなわけで作品に感謝しながら読んでいる。
自分がその心情を理解できる様に表現してくれてありがとう、と。
私は、小説のこの点を最も大切にしている。
この世界を生きていく人間として、心を分かち合うことを。

ありがとう。

「半音階の臨界点を歩く男」

マイクスターンがすっかりヘビロテ定位置。
このところずっと「Time in Place」ばかりだったのだが、やっと載せ替える気になって選んだのが、ソロデビューアルバム「NEESH」('83)。
このアルバム、どうしたわけか、国内盤発売の際「FAT TIME」という邦題になった。どうやらかなり肥満時に在籍していたマイルスバンドで、御大から呼ばれていた渾名だそうだ。ちょうど81年に新宿ヨドバシ浄水場跡地(現都庁舎)で行われた伝説のライブを音源とした「We Want Miles」と同年、マイルスは引退同然の病床生活から「The Man With The Horn」で復活した。その1曲目が「FAT TIME」だったなぁと。
とはいえ、ジャケットにはしっかりNEESHと書かれているし、収録曲にもFAT TIMEは見当たらない。よく新人のデビューアルバムに本人名を冠することがある(超遅れてきた"新人"Michael Breckerですら、デビューアルバムは本人名を冠した。)が、日本側はそのつもりでマイルス御大にあやかって渾名をタイトルにしたのかもしれない。まぁ今になってみれば、さっさと原題に戻してもらったほうが混乱せずにすむと思ったりもするのだが・・・(とはいうものの、このデビューアルバム、実は日本のトリオレコードが発売したもの。なるほど日本側主導の暴挙か?^^;; 因みに2枚目からは名門アトランティック)
いずれにせよ、絶頂期のサンボーンが大々的にフューチャーされて長い間絶盤になっていて幻のアルバムだった1枚だ。このダブルネーミングのせいで、中古レコード店で、探し出せなかったんだ・・・そういえば^^;;
※ 本記事のタイトル「・・・・男」というのは、CDのライナーのタイトルから
TIME IN PLACE('88)
 Mike Stern (gt)
 Bob berg (ts,ss)
 Michael Brecker (ts)
 Jeff Andrews (bs)
 Peter Erskine (drs)
 Don Alias (per)
 Don grolnick (organ) 
 Produced by Steve Khan
NEESH('83)
 Mike Stern (gt)
 Hiram Bullock (gt)
 David Sanborn (as)
 Tom Barney (bs)
 Vicrot Lewis (drs)
 Buggsy Moore (per)  
 Produced by Hiram Bullock

以前の写真を発掘中

IMG_3936.jpg_D813390.jpg_D813392.jpg

旅したいなぁ・・・

IMG_1292R.jpg

やっぱりピンクだった

引き取って以来、もう頭っからAWBだとばかり思っていたセッティング。

独自のプリセットになっていたようだ。

DSC_2681S.jpg

調整前

DSC_2681-2S.jpg

調整後

DSC_2681-3.jpgさらにトリミング

数日前のこと・・・

浅草のとあるカメラ屋に出していたD800Eの改造が上がったと連絡をうけて受取に。

施したのは、センサー前に設置されているIRフィルターを外してもらうというもの。

言ってみれば、夜空の星を綺麗に撮るために赤外やそれに近い波長の赤をカットするためのフィルターを透明な無力化されたものに交換するというもので、そうすることによって、本来の画像とはちょっと異なる画を撮ろうと・・・いや、目的はあくまで星夜写真のためなのだが。

早速浅草で試写。

やっぱりAWBだと、後で現像時に補正してあげないとだめ。

でも、なんかいいじゃない?^-^b

DSC_2651.jpgDSC_2652.jpg

DSC_2653.jpg

DSC_2656.jpgDSC_2657.jpgDSC_2658.jpg

とあるグループ展の募集。

あぁ、正方形はだめだったんだ。

以前もめたことがあったのを忘れていました。^^;

taiwan6x6003010-R.jpg

台南 神農老街 2013 10月

Rolleiflex 3.5 Automat-X Tessar 75/3.5 + TriX 400 (maybe)

詳細なデータはネガ見ないと分からないけど、ローライにトライX詰めていった気がする。

明暗の差が激しく、悩み抜いて撮った1枚。いろいろ試した失敗作からLongtermシリーズが生まれたのだから、瓢箪から駒。試して見るモノだ。

このカットにしても、こうやってデジタルデータ化したあとも、幾度となく補正し直してみて、一目に触れさせている。

昨日まで東銀座のArt Gallery M84で開催されていた

部屋に飾りたいと思う写真展『アートの競演 2017睦月』にて

前回のM84賞に引き続き、3賞の1つ、G.I.P.Tokyo賞を受賞いたしました!

実はこの「アートの競演」とは大変相性がよろしいようで、その前身 「人それぞれ」(14 夏)から

HolyTree.jpg

HolyTree

「人それぞれのアート」(15 初冬)

Aquanew.jpg

Aqua.New

「アートの競演2015初夏」

wave.jpg#Dizzy#Undulation#Surface#Aqua

「アートの競演2016初春」

pool.jpgInside The Pool

「アートの競演2016文月」M84賞受賞

そして今回の

AR1059986.jpg

Everyday Everlife

「アートの競演2017睦月」G.I.P.Tokyo賞受賞

と6回皆勤中5連続で作品キャプションのパネルにご購入の赤ボッチを付けていただきました。

どうもありがとうございました!

参加写真展のおしらせ

Art Gallery M84

部屋に飾りたいと思う写真展『アートの競演 2017睦月』

1月16日~1月28日
1月16日 10:30 ~
オープニングパーティー + 作品説明等:1月16日(月) 18:00~
クロージングパーティー:1月28日 15:00〜

Art Gallery M84(ギャラリー)
〒104-0061 東京都中央区銀座4-11-3 ウインド銀座ビル 5F
通常の開館時間:10:30~18:30 休館日:日
会期中は閉館時間19:00 無休となります。

本日の

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1月3日の本日の

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1月2日の本日の

_D818945.jpg本日の本日の

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